シアトル南部の淡水で透明なコロンビア川 を遡行、ポートランドで米材を積載したことがあった。
岸壁脇には大きな製材工場があり、丸太は全部角材にして積み込んだ。
荷役後の夕方、船の回りに中国人風の労働者数名が集まってきた。
何か躊躇しながら「私たちはここの日本人作業員だが、最近の母国の様子を伺いたいの で、すぐそこの宿舎まで遊びにきてほしい」とのこと。お安いご用とばかり訪問した。
木造宿舎の広間にはキッチンとテーブル、ベット程度で殺風景だった。
船員側から「なぜうろうろしていたのか」と尋ねたら「日本船だから日本船員と思ったが、どうも中国人の感じがしたため」と答えので「実は船側でも、あなた方をそう思っていた」と、大笑いしてしまった。
彼らは「この工場では、日系労働者の処遇は米人よりいつも下位である」と不満を漏らしていた。
やはり日米の雲行きが心配のようだったので「万一開戦しても、日本には神風が吹くから心配無用」と、全く無責任なことを言ったような記憶がある。 (往時を顧みるとき、在米日系人は等しく米国の底力を正しく評価していたことと、自身の非常識に恥いるばかりである)
この航海の帰路は津軽海峡〜日本海ルートで、船上から母国の山影を望み上海に直行した。
季節は真夏。上海の街で浴衣姿の女性を見かけ、一瞬、母国と錯覚しそうだった。
ポートランドで岸壁搭載の材木は、沖荷役のため無残にも黄浦江の泥水に下ろしていた。
©2002 Kaneo Kikuchi