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旧海軍兵、広島で命の恩人と57年ぶり再会へ'02/8/8

 「あのときのお礼 やっと言える」

 太平洋戦争の終了直前、朝鮮半島北部沖でソ連機の攻撃を受けて沈没した旧海軍海防艦第82号の元乗組員と、救助した商船向日丸むかひまるの通信員が九日、五十七年ぶりに広島市で再会する。元乗組員は「命の恩人に、やっとお礼が言える」と対面を心待ちにしている。

 再会するのは、第82号の乗組員だった広島市安佐北区の横見務さん(74)ら六人と、向日丸むかひまるの元通信員の菊池金雄さん(82)=仙台市。

 第82号は一九四五年八月十日、前日に参戦したソ連軍から逃れる脱出船の最後の一隻だった向日丸むかひまるの護衛に当っていた。午後五時ごろ、ソ連機の攻撃で沈没。乗組員二百十五人の大半が、海に投げ出された。

 向日丸むかひまるは攻撃が続く中、ボートを下ろして横見さんら九十八人を救助。その後、横見さんらは呉市に、向日丸むかひまるは京都府舞鶴市に帰った。

 第82号の生存者は、六八年に戦友会を結成。七二年には、呉市の旧呉海軍墓地に慰霊碑を建立した。横見さんは「戦友と会うたび『向日丸むかひまるの人にお礼がしたい』と話していたが、探す手だても分からなかった」と話す。

 お互いの消息が分かったのは、菊池さんの自分史執筆のための取材。名前を覚えていた第82号の艦長の消息を、海防艦顕彰会(東京)に照会。同会からの連絡で、昨年末から横見さんと手紙や電話でのやりとりが始まり、戦死した乗組員の命日の十日に合わせて、菊池さんの広島、呉両市訪問が決まった。第82号の生存者は、岡山、大阪、福岡からも集まる。

 菊池さんは「第82号の犠牲があったから、私たちが生き残れた。お礼を言いたいのは、こちらの方」と、再会と慰霊碑参拝を待ち望んでいる。

【写真説明】海防艦第82号の沈没の様子を、地図を示しながら説明する横見さん

(申し訳ありませんが、写真を入手できませんでした。)