硝煙の海

青春の航跡十万海里

菊池金雄

まえがき

居間の地球儀は、いつも西南太平洋を向いている。私はそこのある一点を注視することが多い。
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「海」それは戦前〜戦中〜戦後十年間にわたり生死をかけた私の職場であった。

一九二〇年(大正九年)代生まれの青春は否応なく戦争の渦に巻き込まれた。私はたまたま船員なるが故に軍の召集は免除されたが、陸・海軍徴用船の乗組員として戦場に臨み、祖国のため挺身したことは軍人と何ら差がなかったと思っている。

つらつら思うに、過酷な戦火をくぐりぬけ今日生きているのは、奇跡としか言えようがない。

その悲惨な戦時体験については、船員仲間でもほとんど話題にすることもなく、みな忘れたように戦後の生活に追われていた。

私は昭和二十六年に海上保安庁に転職、三十年間勤め同五十六年に退職した。

その後時間的な余裕がでてきたので、昔日の記録を残しておきたい気持ちが徐々にわいてきた。

退職数年後に所用で上京の折り、元の船会社から当時の記録を入手しようと考え立ち寄ったところ、うかつにも土曜日で無駄だった。

以来雑事にかこつけ中断のまま今日に至ってしまった。

しかるところ相次ぐ同輩の訃報を耳にするにつけ、早急に自身の生きざまを遺言代わりに子孫に書き残すことを決意し、八十の手習いで自分史に挑戦してみた。

だが、手元には船員手帳二冊(他の一冊は海没)以外は何も記録がなく、図書館や合併した系列船会社にも求める資料がなく途方にくれるばかりだった。

そこで一縷の望をかけ全日本海員組合塩釜支部を訪れ事情を話したところ、書架の海事関係図書を快く見せてくれた。

その中に、昭和六十年出版の元東京商船大学学長、浅井栄資先生の「慟哭の海」があり、やっと探し求めた名著に出会い、むさぼるようにページを繰った。

内容は全五章からなり、武器なき海で日本商戦隊壊滅の実相を詳述した労作に感動しきりであった。

しかも先生は八十六才で出版されていることを知り、私も愚作えの意欲がでてきた。だが全くの白紙を前に、半世紀前の記憶を呼びもどすことは並大抵のことではなかった。

とにかく元船友から情報を聞きだしたり、OB会で出会った元上司から同航した海防艦名等貴重な資料のご提供いただき、辛うじて点と点をつなげることができた。

 

テーマは戦時体験にしぼりたかったが、禿筆のため戦前戦後の朧気な残像なども折り込んだ老船員のくりごとにすぎず冷汗三斗の思いである。

願わくば半世紀前にタイムスリップしてお読みいただければ幸いである。

©2002 Kaneo Kikuchi

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