私は今まで、戦闘場面に遭遇した体験がなく、戦火の海は遙か彼方のような気がしていた。したがって、知らぬが仏の平常心で船務に挺身できたものと思う。
しかし、現実の戦況は日を追って厳しさを増し、護衛なしの海上輸送は困難な状況になっていた。
十月二十日頃、C重油を満載して在来老朽船の共同丸(千トン級タンカー)と、二隻の 船団を組み、陸軍の護衛船(船名??失念)一隻に守られて、船団速力六ノット(本船は若干速力が早かったが、相手船の速力が遅かった)でマニラ港に向け出帆した。
対潜水艦見張りを強化して、北ボルネオ西岸を北上。無事スルー海に入った。
ところがパラワン島北部近海で、該護衛船から事前打合せもなく「護衛を打ち切り、船体整備のため昭南島に回航する」旨の通告があった。
危険な油を満載した両船側としては、全く軍の身勝手な対応に不満が噴出したことは当然であった。
そこで両船の船長が「護衛無しでは続行できない」旨を強く軍側に申し入れた結果、航空機で間接護衛することになった。
©2002 Kaneo Kikuchi