資料不足で難航の手記も、有志等から支援を得て何とか脱稿することができた。文中に一部、これら貴重な記録から私の体験と接点のある部分を引用、または転載して、足らざるところを補わせていただいたが、本筋はあくまでも実体験のつもりである。
横須賀市の観音崎公園内にある「戦没船員の碑」に祀られている、第二次大戦中に戦没した六万余人の船員仲間の無念を思うと、痛憤に堪えない。
この戦没者数は、陸海軍の戦死率より高率である。それは日本海軍が艦隊決戦一辺倒の偏った用兵思想から。シーレーン保護について極めて冷淡であったからで、このため裸同然の兵站輸送船が、敵の潜水艦や航空機の餌食となり、多くの船や船員がいたずらに犠牲を強いられたからである。その結果、逐次南方占領地からの戦略物資の還送が意のごとくならず、特に石油の枯渇が敗因のひとつであると、戦史でも指摘されている。
これら輸送船の苦難の真相は「慟哭の海」に詳しく叙べられているが、私の乗った輸送船二隻の臨戦体験からも、軍の船舶保護のずさんな対応を指摘しておいた。
しかし、陸、海軍の軍人一人ひとりが祖国のため勇敢にその本分を尽くしたことに対し敬意を表することは当然であり、武運拙く戦死された多くの軍人のご冥福を念じてやまない。
付言するまでもなく、古来資源に乏しい島国で国民が生きるためには、諸外国から必要な物資を輸入して経済を維持しなければならない国柄である。
参考までに、最近の海外からの依存の度合は、別表のとおりで、この様な各種の物資を大量に運搬する手段は、当然船舶による海上輸送が主となる。
主要資源対外依存度
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したがって、わが国は輸出入国との友好関係と、シーレーンの安全確保を、最優先の国是としなければならないことを、国民一人ひとりが肝に銘じ、二十一世紀は二度と国家・国民を破滅させるような、過去の非民主的な政治があってならないことを子孫への遺言としたい。
なお、今回出版にあたり次の各氏や団体等から様々なご協力を賜り、付してお礼を申しあげます。(敬称略/残念ながら・印の方はすでにご逝去されました)
長嶋保令 ・山田禾黄 川人忠男
景浦正人 谷津 透 白石玉夫
松崎大和 新貝源弘 ・高澤豊治
・岩井清道 本内保信
その他、(財)日本殉職船員顕彰会・(財)日本海事広報協会・東北海事広報協会・第二管区海上保安本部海の相談室・全日本海員組合塩釜支部・戦没した船と海員の資料館等
近くにある日本の都市公園百撰のひとつ、榴岡(つつじがおか)公園は私の散歩コースで、ここの丘から毎朝海に向かって黙祷し、亡き船友のご冥福を念ずるのが日課になっている。
おわりに「戦没船員の碑」の碑文を付してペンをおく。
「安らかにねむれわが友よ
波静かなれとこしえに」
(第32回戦没・殉職船員追悼式の日)
©2002 Kaneo Kikuchi