平成十五年九月 菊池金雄
この秘録はNHK取材班(ドキュメント太平洋戦争)が平成七年、三田氏にインタビューしてはじめて公開された極めて貴重な証言である。
同氏の記憶では昭和十九年秋頃「対海防艦艦長講義資料」として正確に作成した極秘資料で、上司からこれは「士気を損じる」と廃棄処分になったものの一部を隠し持っていたもので、ここにその要旨を再録することとする。
敵潜水艦の日本近海、内南洋方面への集中と頻繁なる空爆により、船舶の被害激増し 造船能力を凌駕するに至り、現状を以て推移せんか補給線の維持は困難となり、戦争遂行不可能となるおそれあり。正に万難を排して海上輸送力の確保に邁進せざるべからざる危急存亡のときなりとす。(中略)
現在最も苦境にある護衛作戦の難点とするところは護衛艦の不足にあり。これがため各級指揮官の悪戦苦闘にもかかわらず、いまだ敵潜の跳梁を防止し得ず。船舶の被害は減少せず稼働率は低下しつつある状況なり。
ほんとうのことを言わないで、いわばだまして彼らを戦場に送ったんです。そしてほとんどの艦長は帰ってきませんでした。中には私と商船学校で同級生だった人もいました。
そのことを思うと、今でも申し訳のないことをしたと、自責の気持ちがこみ上げてくるんです。
三田氏は戦後、海上保安庁の警備救難監等要職を歴任された方で、海上警備隊
創設のためのY委員会(内閣直属の委員会)の海上保安庁側メンバーとして参
画。、海軍再建には反対の立場だったとのことであるが、著者にはその心情を読
み取ることができる。
私は昭和二十六年に船会社を退職後、海上保安庁に転職したが、八戸海上保安
部で三田警備救難監の視閲を受けたことがある。この警備救難監の役職は海上保
安官の最高のポストで、海上保安庁次長と同位の要職でもある。
©2003 Kaneo Kikuchi