秘史その二

通商破壊戦記序文

平成十五年九月 菊池金雄

蔵書からの摘録

書架の蔵書のなかから昭和十七年「舵」社発行のフランツ・ヨーゼフ著「通商破壊戦記」(今村甫訳)が見つかったので改めて目をとおし、緒戦当時この本を夢中になった読んだことを思い出すとともに、「武富邦茂」海軍少将が寄せたこの本の序文に「無敵帝国海軍が大東亞共栄圏内の日本商船隊の通商路の護りを大磐石の安きに置かねばならない」との趣旨を豪語しておられる。確かに緒戦当時はシーレーン(商船隊の通商路)は確保されていたが、戦局後半には敵側に散々蹂躪されてしまったのは何故であろうか。臨戦した商船乗員生き残りの一人として、戦没した多くの仲間の慟哭に慰めの言葉も無い。

以下に本序文を摘録してみることとする。

今日の戦争、即ち大東亞戦争に於ても、ヨーロッパ戦争に於ても、ともに彼我両艦隊の決戦と云ふものの実現は、その可能性がきわめて薄弱となった。況んや、開戦劈頭真珠湾頭に米太平洋艦隊を、マレー沖に英東洋艦隊を撃滅した大東亞戦争の関する限り、両国艦隊決戦の可能性は絶無となった、と云っても過言ではなからう。

前大戦までは、戦局は両国艦隊の決戦によって決められたが、今日の戦争に於ては、さう云うことは先ず無いと思われる。

しからば、何が戦局決定の鍵となるであらうか、それは通商破壊戦である。敵の航路を脅かして、原料、物資等の輸送を絶ち、敵国を経済的に封鎖し、窮地に陥らしめんとする通商破壊戦こそは、現代戦の特質であり、戦局決定の一大要素である。

そこで、遠距離に原料の供給地、生産品の市場を持つ国は、長大なる通商路を確保しなくてはならないから不利不便であり、本国の近くにそれを有する国は有利である。英国は前者であり、日本は後者である。

即ち日本は、大南洋と言う無限の宝庫を、一連の飛石伝ひに有し、また亜細亜大陸と密接してゐる。このブロックは、きわめて纏まりのよい自給自足圏であって、真に守るに易く攻めるに難いブロックである。

このブロック、即ち大東亞共栄圏は、太平洋と印度洋とに跨がってゐて、そこには無数の我が通商路が走り、我が商船隊が縦横に活躍してゐる。無敵帝国海軍が、しっかりと制海権を握り、八方に向って大きな睨みをきかせてゐるからである。

このブロックを建設し、繁栄せしむる為には、どうしてもこの両大洋の護りを、大磐石の安きに置かなくてはならない。しかして、退いて護るは真の護りではない。常に怠らざる出撃の用意があってこそ、はじめて真の護りは全いのである。即ち我は、太平洋にも印度洋にも前進根拠地を持ち、敵をして我が通商路を破壊するの餘地なからしめると同時に、進んで敵の通商路を破摧し、速かに最後の決戦へと導くであらう。

その方法に変りあるとは云へ、真理は常に不変である。

獨逸軍艦「エムデン」の行動

前大戦に於て、印度洋を自らの死地と定め、単艦乗り出して通商破壊に従事した獨逸軍艦「エムデン」の行動は、この意味においてきわめて多くの示唆を含んでいる。

世間には机上の空論と云ふものがあるが、死を賭して闘い取った軍人の体験記録こそは、絶大の価値を有するものである。

今や軍艦旗の下、まさに摺伏せんとしつつある印度洋を、曾て恣に疾駆し、英国をして震え上らしめた通商破壊艦「エムデン」乗組士官の綴ったあるがままの記録として、読者はここに現代戦の戦局決定の一大要素たる通商破壊戦の実相を知ると同時に、数奇の運命と苦難とを闘い抜いた、壮烈な獨逸魂の発露をみるであらう。

©2003 Kaneo Kikuchi

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