朝鮮北東岸諸港の状況

昭和二十年三月以降はB29の来襲、アメリカ潜水艦の跳梁で、関釜連絡船は欠航がちになり、日本本土と大陸との交通は、北朝鮮の羅津らしん雄基ゆうき清津せいしん城津じょうしんの各港と裏日本諸港間のルートが辛うじて命脈を保っていた。

当事、日本本土での決戦が叫ばれ。反面、日本国内の食糧不足も限界に差しかかっていた。

そこで、関東軍の武器弾薬、ならびに満州からの雑穀類の輸送が急務となり、朝鮮北東岸各港には、大型輸送船が相次いで出入港していた。

七月中旬以降沖縄からB29が隔日に、きまって午後十一時頃周辺港湾に機雷投下作戦を行い、船舶の被害が急増してきたので、当局は羅津方面に集積した物資を八月上旬までに日本本土に輸送完了の目標を策定。当事羅津に十七隻、雄基には十八隻の輸送船が入港して積荷作業を行っていた。

 

©2004 Kaneo Kikuchi

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