清津は天然の良港で、古くは零細な漁村であった。一九〇八年に開港し、北部山地の木材や水産物の貿易港として発展しはじめ、二九年に咸鏡線が開通すると、北部山岳地域への交通の要衝となった。
日本植民地時代末期に茂山の鉄鉱と阿吾地の石炭を原料とする製鉄所が建設され、以来北部朝鮮の冶金工業の基地となった。
朝鮮戦争での大被害を復旧し、現在は製鉄以外にも各種機械、造船、化学繊維等の工場を建設、咸興と並ぶ共和国の重工業地帯となっている。
工業原料の自給化政策をすすめている共和国は豆満江領域の天然資源に注目、清津はその開発拠点となっている。
また、一次産業は輪城平野の稲作や日本海のスケトウダラ、タラ漁業に力点がおかれ、同港は国際貿易港として各国の貿易船が出入し、日本へも新潟港などへ石炭や鉄鉱石を積んだ貨物船が往来している。
なを、一九六〇年代初頭には、在日朝鮮人乗船の帰還船は主として当港に入港している。
©2004 Kaneo Kikuchi