清水港向け帰航

数日後、ラワン材を満載して清水港に向った。 遙か沖合から真先に、雲間に浮かぶ秀麗な富士山を望見、母国近しの感激がわく。

入港すると局長は、私を連れて「清水次郎長」の墓参りをしたあと「君の処女航海を祝して乾杯しょう」と小料理屋に入った。開口一番「僕は酒が入ったらキリがないので適当なとき切上げてくれ」と言われたものの、困惑しながらご相伴にあずかる。

雑談のなかで「新米にしては仕事がよくできる」などと褒められ、嬉しかった。彼は、私をからかったものか、適量で帰船したのでホットした。

清水港でラワン材を約半分揚荷して、二月中旬頃名古屋港に回航 。ここで荷役終了後、同月下旬、定期ドック(入渠)のため神戸の三菱造船所に入渠した。

ドック中に一時休暇で帰省。南国みやげ代りに持参した、乾いた椰子の実は珍重がられた。

このとき私は満二十歳となり、乗組員数人と兵庫県の郡部で徴兵検査をうけ、判定は第一乙種で現役入隊を免れた。

©2002 Kaneo Kikuchi

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