積み荷にもよるが、日本の各港では着岸しないで沖荷役が多かった。
乗組員の上下船は定時ごとに、在泊している各船を回る「サンパン(通船)」を利用していた。
荒天のときは、この小舟と本船間の乗り移りが難儀で、あるとき船員の奥さんが「タラップ(舷梯)」から足を踏みはずして、海に落ちたこともあった。
私は親に似てアルコールに弱かったので、上陸しても深酔いしないようにしていた。
船の浴槽には海水を使い、あがり湯だけ真水を使った。うねりで船体が揺れるとザアーと浴槽の海水がこぼれ、時化具合のバロメーターにもなった。外洋の海水は透き通るように綺麗だが、港内の濁った水はいただけなかった。
当時停泊中は、燃費節約のため船内作業が終わると発電機をとめていた。その間の照明はバッテリーと石油ランプを併用した。
私が乗船当初、このバッテリーの保守も担当させられた。希硫酸で電液の比重調整したり、過充電など試みたが、寿命が限界で実用にならなかった。
それから間もなく電気専門のエンジニアーが乗組み、本来の機関科にバトンタッチした。この体験によって、私はバッテリーの保守に自信をつけることができた。
長い航海が終わってエンジンの騒音がやみ、シーンと静まった船内は却って眠れなかった。深夜帰船する乗員の乗ったサンパンのポンポンという音も今では懐かしい。
©2002 Kaneo Kikuchi