私は社命により高瑞丸を下船して半月後の昭和十八年七月十三日に第二大源丸(一九九九トン、乗組員約四十名)に無線局長として乗船した。
今まで遠洋の大型船に乗っていたので、小型貨物船は初体験であった。
就航先は主に北支(中国北部沿岸)と九州間の石炭輸送で、小さな港にしばしば出入するので出費が増えてしまった。
次席通信士は年長の久保氏で、実務を如才なく処理してくれたので大助かりだった。
エンジンはレシプロ式で、酷熱の機関室では火夫たちが玉のような汗を流しながら石炭を焚き、夜になるとアース(石炭灰)を機関室からチェーンブロックで「がらがら」と吊り上げて海面に投棄していた。
このエンジンはディーゼルエンジン船にくらべると機関音が静かなのに、対象的にこの作業の騒音が妙に気になった。
私は、この船で戦火のおよばない平時なみの航海を、大いに楽しむことができたように思う。
©2002 Kaneo Kikuchi