いざ昭南島へ

船体各部を入念に再点検して、五月下旬にドックを出て昭南島に向かった。

当時の南方航路は敵の潜水艦の出没がひんぱんで、大型輸送船の場合は数隻まとまって目的地まで軍艦の護衛がつく護送船団方式であったが、本船は陸軍徴用の小型船であることから単独で行くことになった。

宮本船長は安全な島づたえの飛び石コースをとり、門司経由で鹿児島に向かった。

鹿児島港では母国最後の決別のため一夜仮泊。乗組員はわれ先に夜の街に出て行った。

©2002 Kaneo Kikuchi

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