さて、丸裸同然の遭難船員たちは、共同丸の伝馬船で上陸することになった。早く上陸したい集団心理から、一度に多勢乗ったため沈下、水舟状態となった。さすが船長は落ついたもので「心配無用、伝馬船につかまって片手で水をかけ!」と号令をかけ、全員無事上陸。コロンの陸軍基地に保護された。
(戦後史によると。僚船共同丸は昭和二十年一月六日、ルソン島リンガエン湾で空爆に遭い沈没、乗員の戦死者の有無は不詳)
コロン湾は周囲が絶壁に囲まれ、水深も深く、敵の空襲を避ける適地=艦隊の燃料補給地点にもなっていたようである。 われわれの収容先は学校の校舎。夜間、爆音の都度屋外に避難した。熟睡中は板の間を走る、ドヤドヤという音で飛び起きた。
ある時、山手の避難先で住民の一人が月明下、敵機に向かってハンカチを振っているのを目撃した。
軍から支給された白米には、ゴマ塩をふりかけたように石炭粉が混じり情けなかった。実情は数日前マニラから多数の輸送船がここに避難したため糧食が枯渇ぎみだった。
栄養補給のため、海兵が小銃で仕留めた野生の水牛も食べたが、結構おいしかった。
戦死した二名はすぐ空き地で荼毘に付した。
©2002 Kaneo Kikuchi