大型輸送船「向日丸むかひまる

玉音放送

ソ連軍機の猛追撃から必死で北鮮を脱出した残存船団は、昭和二十年八月十五日の朝、整然と舞鶴に向け日本海を避航していた。

母国のラジオからは繰り返し重大放送の予告が流れ、無線部ではなるべく多数の乗組員に聞かせようと、通信室のスピーカーの線をあちこちにのばして待機していた。 われわれは、ソ連参戦という最悪事態に臨戦したので、おそらく最後の決戦を国民に呼びかける放送であろうと予想していた。

正午玉音放送が開始された。しかし、その内容は理解できなかった。引き続き放送され たアナウンサーの解説で、戦争の終結を天皇が自ら放送したものであることを知った。

この放送を聞いた乗組員の反応は、外面的には平静だった。 私自身は「戦火の海で数々の死線をくぐりぬけ、やっと生きのびることができた」のかと内心半信半疑だった。

一部の軍首脳部以外は戦局のことなど知るはずもなく、ましてや日本が降伏するなどと、誰も夢にも考えていなかったことである。

ただ私は、過日釜山港で無線受信機のダイヤルを回していたとき、偶然「日本ポツダム宣言受諾」のデマ放送を瞬間的に耳にしたが誰にも口外しなかった。あの放送がデマでなかったとはとても信じられなかった。

©2002 Kaneo Kikuchi

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