薄氷の処女航海

当時私は、岡山県玉野ドックで新造した戦時標準A型貨物船向日丸むかひまる(六七八二トン)に、昭和二十年五月二十日から乗船していた。

本船が玉野から門司まで回航する間に、先航船がつぎつぎと米軍投下の機雷に触れ沈没、遂に一番船となった。果たして門司まで無事航行できるか懸念されるほど、瀬戸内海の航路は機雷群に埋め尽くされていたが、幸運にも無事門司に入港することができた。

ここで、直ちに朝鮮へ陸軍の軍需物資輸送の任務を命じられた。翌朝離岸直前に本船の間近で時限機雷が爆発した。タイミング次第では本船が触雷したかも知れず、昨日のはらはらさせられた処女航海とあわせ、本船は運が良いと船内の話題になった。

門司から釜山ふざんに向かった。六連島むつれじま沖を通過中先航船数隻が触雷する現場を再三目撃した。 〔六月十三日、この海域で親友長嶋保令氏が乗っていた姉妹船、白日丸しらひまるが触雷している〕肉眼で視認できない機雷原を突破することは、正に薄氷を踏む思いであった。

強運にも釜山まで軍需物資の輸送任務を遂行するこができた。

©2002 Kaneo Kikuchi

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