羅津らしん港決死の脱出

船長復船

壕の中は真っ暗で、腹時計ではそろそろ朝になったろうと思って外に出たら、船が出港するので無線部員を捜しにきていた。

「船長不在でも出港するのか」と確かめたら、応急手当をして既に復船していることが分かった。

さて向日丸むかひまるは、日夜の連続爆撃で所々に被弾を受けていたが、幸い致命的なダメージがなく航行可能とは強運な船であった。

無線室の方も、あちこちに弾痕があったが幸い無線機器には異常がなかった。

しかし、停泊場との連絡不円滑がたたり、本船は十日の朝、羅津港の最後の脱出船になってしまった。港内の多数の動けない被弾船をかきわけ、港外に出ようとした途端、たちまちソ連機の集中爆撃に見舞われた。

この緊迫事態で小川通信士が欠けたことは無線部にとって大きな痛手であっが、衷情を察したナワ陸軍少尉は、すすんで通信当直を応援してくれた。私は、この危機的場面で良き後輩との出会いが大いに心強かった。

われわれは、どうせ被弾沈没するなら、港内では救命の確率が高いので、腹をくくって 船務についていた。敵の未熟のためか、あるいは本船警戒隊員の勇戦によるものか、一応港外に逃げのびることができた。

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向日丸むかひまると同型戦時標準船のイラスト(宮田幸彦氏画)

©2002 Kaneo Kikuchi

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