舞水端里、海防艦八十二号の勇戦

羅津らしん港外には味方艦船は一隻も見当たらず、とにかく本船は敵機の追撃を逃れるため、全速で南方に避退を続けた。幸い午後四時半頃、北上中の一隻の海防艦に出会った

該海防艦は、羅津からの脱出輸送船の護衛任務に馳せ参じたもので、本船を最後の脱出船と確認。残存船は元山げんざん港に集結するよう指示し、本船を直接護衛してくれた。

ところが午後五時頃、二十四機のソ連雷撃機編隊に襲われた。 今度は、もし沈没しても護衛艦が救出してくれるであろうと思った。被弾が必中の状況下、ひとりで立直中の私は何時でも脱出できる心構えをしていた。 該護衛艦は本船を沿岸寄りに退避させ、矢面にたって果敢に応戦。船橋から三機撃墜との情報が入ったが、まもなく十八機の第二編隊が襲ってきた。

当然、軽武装の本船が標的になるものと観念していた。しかし一向に被弾のショックがないので、午後五時半頃船橋に様子を確認してみたところ、交戦中の護衛艦に敵の魚雷一発が命中、大爆発を起こし轟沈したとの情報が入った。(舞水端里ムスダンリ南西約七海里の地点)

舞水端里

次は本船への攻撃必死と観念、一層緊迫感が高まった。だが、幸運にも敵雷撃機は弾が欠乏したためか消え失せたとの続報が入り、死線を突破できるのではないかと一縷の望みが沸いてきた。

©2002 Kaneo Kikuchi

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