該海防艦は、羅津からの脱出輸送船の護衛任務に馳せ参じたもので、本船を最後の脱出船と確認。残存船は
ところが午後五時頃、二十四機のソ連雷撃機編隊に襲われた。 今度は、もし沈没しても護衛艦が救出してくれるであろうと思った。被弾が必中の状況下、ひとりで立直中の私は何時でも脱出できる心構えをしていた。 該護衛艦は本船を沿岸寄りに退避させ、矢面にたって果敢に応戦。船橋から三機撃墜との情報が入ったが、まもなく十八機の第二編隊が襲ってきた。
当然、軽武装の本船が標的になるものと観念していた。しかし一向に被弾のショックがないので、午後五時半頃船橋に様子を確認してみたところ、交戦中の護衛艦に敵の魚雷一発が命中、大爆発を起こし轟沈したとの情報が入った。(
次は本船への攻撃必死と観念、一層緊迫感が高まった。だが、幸運にも敵雷撃機は弾が欠乏したためか消え失せたとの続報が入り、死線を突破できるのではないかと一縷の望みが沸いてきた。
©2002 Kaneo Kikuchi