老練船長を称える

今にして思いば、西船長が八月九日に戦傷したさい「駄目だ駄目だ」と叫んだのは、自分の負傷のことではなく「自船が危険だ!」という意味に解釈すべきであった。

何故なら応急手当で帰船できたこと。船長の職責から自船の保安と乗組員の生命を守る旺盛なる責任感が、この老船長の胸中を去来したことと推察されるからである。彼はソ連軍機の度々の追撃にひるむことなく、不屈の闘魂で重責を全うしたことは見事であった。 首に包帯して船橋で指揮する船長の勇姿に、警戒隊員と乗組員の士気があがり、数々の死線を突破できたものと思う。

かくして戦火の海から、会社の財産である船と船員を無事帰国させた彼の功績は計り知れないものがあった(西船長は翌二十一年、白扇に枯れた墨痕で「去る者は日々に疎し」と書し、向日丸むかひまるを最後に長年の海上勤務から退かれたとのことである)。

©2002 Kaneo Kikuchi

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