小川氏留守宅に急報

私は、向日丸むかひまるが無事帰国できる公算があったなら、羅津で下船させるような判断はしなかったはずである。当時、あの過酷な戦火の中では、自船の安全がいかに信じられないものであったかを、小川通信士の家族に急報しなければならなかった。

そこで「当時の状況と、本人及び船長以下の幹部が相談して決めた下船」であったことを詳細にしたためた。  なお「私はここで下船予定であるので、帰省の途次訪問して、委細ご報告申し上げたい」旨を添え書きして投函した。

©2002 Kaneo Kikuchi

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