小川氏宅訪問

十一月二十九日やっと後任者の久木原大先輩が着任。直ちに事務引継のうえ、旧交を温める暇もなく私は向日丸むかひまるを去った。

私は舞鶴からすぐ、小川通信士の家族の疎開先である栃木県の小山を訪問したのであった。

当日は生憎父上が不在で、妹さんに当時の状況を詳しく説明した。父上は私の手紙を見て「羅津に息子を捜しに行きたい」と漏らしていたことを知った。

当時の混乱期では不可能なことであったが、父子の固い絆の琴線に触れる思いであった。

しかし私は、当時のあの熾烈な戦火の中での彼の病状では、羅津の陸軍病院に入院させる以外に選択の道はなかったこと、また母国の敗戦など毛頭知る状況になかったことを、肺腑をえぐる思いで説明するのが精一杯で、運命のなせる業とはいえ痛恨の極みであった。

内心不本意な報告であったが、私は向日丸むかひまる在任中の職責のけじめを果たすことができた。

それから私は重い足取りで、船から割愛された主食代用の大豆とコウリャンの入ったリュックサックを背負って、混雑する列車の渦にもまれながら古里に向かったのであった。

©2002 Kaneo Kikuchi

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