次表は戦時中に急増された、戦時標準型船の建造隻数と戦没隻数の一覧表である。(クリックすると拡大表示します。)
この表から自社(大同海運)配当船を抽出して、船名を付してみた。建造/戦没隻数は、十三/十一となり、辛うじて二隻が生き残っただけである。
ちなみに、同社の開戦から終戦までの保有船腹三十三隻(二一万八千重量トン)中、昭和十七年三隻、十八年五隻、十九年十隻、二十年二隻、合計二十隻が戦火で沈没。乗組員三七五名の尊い命が奪われ、痛恨の極みである。なお、同社の戦後実際に稼動できる船腹は、次の五隻(約二万六千重量トン)にすぎなかった。
在来船 高栄丸 一万重量トン
戦標船A型
戦標船E型 大天丸 千五百重量トン
戦標船E型 大宙丸 千五百重量トン
(終戦直後就航)
戦標船E型 大日丸 千五百重量トン
(終戦直後就航)
©2002 Kaneo Kikuchi