戦争末期には、内地の石油が激減、民間工場は操業停止に追い込まれた。また、海軍は戦艦四隻外、かなりの兵力があっても、燃料不足のため瀬戸内海に投錨、浮砲台代わりになっていた。
それでも、動ける輸送船は敵火の中を、軍需品や民需品の輸送に挺身しなければならなかった。皮相な見方をすれば、防弾装備の戦い船が安全な内海に泊し、軽装の輸送船が薄氷の海を航っていたことになる。
たまたま私は終戦直後、向日丸[むかひまる]で舞鶴入港の際、同湾北部の「佐波賀[さばか]」の岸壁に係留されていた新造二等巡洋艦「酒匂[さかわ]」を目撃している。 該軍艦は、山の斜面から大きな網を艦全体に張り、その上を伐採した生木で覆い、遠望では船形の枯れ木の小山のように見えた。これは、出番待ちの戦術だったかも知れないが、命からがら帰還した輸送船側には割り切れない思いがした。
©2002 Kaneo Kikuchi
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