あわや沈没(日の丸汽船E型、第七日の丸)

当時、各船会社の船舶は一元的に船舶運営会で運営され、船員の配乗は系列グループ毎に行っていた。このため必ずしも自社船に乗るとは限らず、グループの他社の船に乗るケースが多かった。 したがってお互いに初対面となるが、職掌がら格別に違和感もなかった。

私は昭和二十一年六月十六日富山県伏木港でこの船に乗船した。

瀬戸内海を西航中のある深夜、当直航海士が灯台の方位を誤認、小島に全速で激突したことがあった。直ちに古市船長が退船用意を指令したが幸い沈没をまぬがれ、首尾よく近傍のドックまでたどりつくことができた。

真夜中の突発事故に、一同胸をなでおろしたのであった。船主もびっくりして馳せ参じたのは当然であろう。波の静かな瀬戸内海の航路筋は眺望絶佳であるが、運航を司る航海士泣かせの難所も少なくなく、特に夜間航海はなおさらである。

私は九ヵ月後の昭和二十二年三月十八日、年次休暇のため大阪港で下船した。

©2002 Kaneo Kikuchi

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