悪辣な投書(大同海運E型、大宙丸だいちゅうまる

珍しく自社船に乗船指令があり、私は昭和二十二年八月十三日東京港で大宙丸に乗船した。小島船長はじめ、旧知の面々に再会、お互いの強運を確かめあった。

翌月船長が交代してハンサムなI船長が乗船してきた。

航路は本州太平洋岸〜北海道だった。あるとき釧路港で仲間と昆布を共同で買い込んだことがあった。横浜港向け中、時化のため塩釜港に一時避難してから横浜港に入港したところ、船舶運営会本部から私に呼び出しがあった。乗船早々でもあり心当たりがなく、何かの間違いであろうと配乗係に出頭してみた。 ところが意外にも調査係の方に回され「貴船は塩釜で白米を大量に積み込み、横浜で陸揚げしたろう」と詰問された。

私は全く関知しない旨返答したものの、釧路で土産用の昆布は買ったと白状し、船内のことは船長に尋ねるのが至当と反論した。 それでは一等航海士に出頭するように伝言してほしいと言われた。

丁度帰船時サンパン(通船)で上陸する一等航海士と鉢合わせしたので、詳しい用務を話す暇もなく、ただ本部に出頭の件だけ伝えたのであった。

後で帰船した船長に、事の次第を腹立ちまぎれに報告したところ「よし俺が本部に行って抗議する」と断言した。

その後船長が本件事由を本部に質したところ、ある人物から「局長と一等航海士以外が、ぐるで悪事をやっている」との投書があったことが分かった。

私はそれを聞きピン!ときたので、局長引継書にある前任者の署名の筆跡を船長に見せせたところ、筆跡が似てるようだと投書人の割り出しの手がかりになった。

この悪辣な投書の真因は、どうも塩釜の飲み屋の女性がらみと推察され、その一端はハンサム船長にもあったようにも思う。 それは本船が塩釜港に仮泊したとき、たまたま某船に転船した前任者の船も塩釜に停泊していて、旧知の本船の誰かに「俺の女を貴船の船長にとられた」との噂を私が耳にしていたからである。 投書人の武士の情けから、本部呼び出しの羽目にあった一等航海士と二人で苦笑いしたことである。

敗戦後の一般貨物船の運航はGHQの指令で、暫く船舶運営会で行なっていた。個々の船会社のようなキメ細かな配船でなく、一寸時化ると直ぐ仮泊したものである。 ある時は釧路〜名古屋間を一ヵ月余りかかったこともあった。

私は翌年六月、依命下船して自宅待機となった。

©2002 Kaneo Kikuchi

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