昭和二十三年九月四日、私は川崎港で白光丸に乗船し、二ヵ月後に社命により十一月二十二日門司港で下船、同月二十四日佐世保港で、晴れて社船の大天丸に配置替えになった。
それは船舶運営会が解散して、船の運航が各船会社に帰属したからであった。当時船腹が少なく、全員が元の会社に引き取られた訳ではなかった。 何となく古巣に戻ったような気分で、大勢の昔仲間との再出会いに大満足だった。
昭和二十四年二月某日。佐賀県唐津港の停泊時を利用して、近くの呼子捕鯨船基地の親友山田氏のキャッチャーボートに便乗。捕鯨シーンの見学を試みたが、あいにく獲物が現れず残念だった。
私はそれからまもなく東京港で公暇下船した。
©2002 Kaneo Kikuchi