自宅待機二ヵ月後。私は四月十日、塩釜港で大日丸に乗船した。船長は、私が初乗船した恵昭丸のチーフオフィサー
私がアプレンチス(見習い職)のとき、何故か「次局、次局」と親しげに呼びかけてくれたことが思い出された(この、次局なる呼び名は多分、局長の次という意の愛称であったと思う)。
私は良き大先輩にめぐり会い、平和な航海を心から楽しむことができた。
この船も内地(北海道の人は本州をこのように言う)〜北海道航路が主だった。
門廣船長は遠洋の大型船経験者のためか、あまり荒天など気にせず、所定コースを滅多に変針することがなかった。当時、同氏のようなベテランの乗る大型船が少ないのが気の毒でもあった。
この船で二人が酒を酌み交わした記憶がなく、往年の酒豪も要職がらか控え目にしていたのだったかも知れない。
私は半年後の十月、宇品港で任意下船した。
©2002 Kaneo Kikuchi