先輩・石沢満穂氏

昭和二十六年の六月、私は塩釜で海上保安庁職員の採用試験を受けた。

そのとき試験場で夢中になって履歴書を書いている見覚えのある人物がいた。そっと後ろから名前を確認したところ「石沢満穂」氏なので声をかけてみた。ところが彼は怪訝な顔をしたので「私は恵昭丸であなたの後任の菊池です」と名乗ったらやっと思いだしてくれた。

彼が私の顔に記憶がないのが当然で、私が恵昭丸に乗船の際、彼の下船とタラップ(弦梯)で、すれ違っただけだからである。 何しろ私は初乗船であり、前任者の顔は鮮明に覚えていたことと、次項の阿部司厨員からも折に触れ、彼が船に弱かったことなどの情報も入手していたのであった。以来、共に第二管区海上保安本部の部署に奉職。機会があるたび往来訪して親交を深めることができた。

彼は私より少し年長だったが、過年幽命境を異にするに至った。

近年、他の同輩の訃報も耳にするにつけ、哀惜の念切なるものがある。

©2002 Kaneo Kikuchi

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