戦前、中国遼東湾の秦皇島[しんのうとう、チンホワンタオ]に石炭搭載で入港したとき、天津[てんしん、テンチン]の農事機関に勤務中であった実兄に会ったことがあった。どのような打合せしたか定かでないが、兄はどこからか同じ列車に乗り込み、私を出向かえてくれた。
こんな出会いは過去にも再度ならずあったが、これは少ない待ち合わせ時間を有効に使う知恵だったのかも知れない。
その後兄は北支方面の部隊に現地召集された。二人の息子を戦地に送りだした両親は、わが子らの武運を神仏に祈願していたことと思う。幸い兄弟は、かすり傷も負わず無事帰還できたことは、その加護もあったことかも知れない。
兄は復員後、岩手県庁に定年まで勤め、平成十年、享年八十五才で他界した。二人だけの兄弟は、果して天国ではどんな出会いになるであろうか。
塩じみし衣服広げて拝す姑の心に触れゐし夏座敷 (信子)
撃沈の海に漂いき年月も癒さぬ深傷夫は語らず(信子)
©2002 Kaneo Kikuchi