最後に大同海運の創立者、田中正之輔氏の実像を追ってみることとする。
明治二二年神戸市生、大正二年京都三高卒。
大正五年京都帝大政経科卒、同大学院研究生。
大正六年末広重雄教授の紹介で山下汽船入社。忽ち頭角を表し、営業部門の管理職として手腕を発揮。
大正一〇年山下汽船ロンドン支店長。同一二年病気のため本社に復帰。大正一五年営業部長、その後常務取締役。
昭和五年社内の経営路線問題から、同志と山下汽船を退社、大同海運を立ちあげ。同社専務取締役を経て昭和一三年社長に就任。
昭和一三年海運自治統制委員会第一部幹事。
昭和一五年物価対策審議会幹事(海運業界代表)
昭和一六年海運中央統制輸送組合常務理事(所属社数一一社の第三組長)
同年海事審議会専門委員・東亞海運設立委員。
同一七年二月戦時海運管理実施準備設立委員。同年四月船舶運営会評議員にそれぞれ任命された。
氏は昭和一二年以来時局の変動に即し、一海運人として大局的見地から当局に対し積極的に提言。特に「新海運統制論」は「船舶運営会」設立の骨格と目されている。
昭和二十年四月船舶運営会の東西分轄時、関西探題役の特務理事に就任、同年八月敗戦に至った。
©2003 Kaneo Kikuchi