昭和二二年一〇月、戦災した本社屋を新築。
同年一一月、崎山好春氏社長に就任。田中氏は相談役に退き、その後会長に就く。
昭和二十五年四月、日本の海運業民営に還元。同月、戦後同社の外国航路第一船として高栄丸がラングーン米の積取りに就航。同年六月同船はアルゼンチンのブエノス・アイレスに、戦後日本船の遠洋航路第一船として就航。この時の船長は奇しくも渡辺礼儀氏であ った。(高栄丸が亜国で熱烈歓迎をうけた、渡辺船長の手記は別掲)
敗戦による潰滅的な海運再建のため、昭和二十二年度より同三十七年度にわたる計画造船施策に、十九隻応募。更に自己資金で七隻。計二六隻を建造した。(「表3」参照)これらの大同新大型船隊は、戦後の海外航路に雄飛したのであった。
(表3)戦後の新造船
総トン数 | 隻 | 船 名 |
4.7千トン級 | 3 | 高和丸 高昌丸 高明丸 |
7千トン級 | 7 | 高長丸 高東丸 高治丸 高幸丸 |
8千トン級 | 2 | 高京丸 高育丸 |
9千トン級 | 10 | 高忠丸 高宗丸 高征丸 高法丸 高武丸 高定丸 高岳丸 ぶるっくりん丸 まんはったん丸 りっちもんど丸 |
1.3万トン級 | 1 | *宮島丸 |
2.9万トン級 | 2 | **えべれすと丸 **もんぶらん丸 |
3.4万トン級 | 1 | *ろんぐびいち丸 |
計26隻 | (注)*鉱石専用船 **油槽船 その他は一般貨物船 |
昭和三四年、世界経済の急激な変革に対処するため各業界は諸方策を検討。海運界は、その強化対策の確立を要望し、昭和三八年七月「海運業の再建整備に関する臨時措置法」が公布された。
これに基づき、大同はパートナーに日東商船を選び同社と合併。昭和三九年四月社名を 「ジャパンライン」として新発足した。
©2003 Kaneo Kikuchi