大同海運 拿捕船(大同の船員乗船分)

 

帝安丸 五三八七総トン

昭和一七年一月九日 〇四四〇頃 N三五‐〇〇 E一四〇‐三六(千葉県八幡岬東南 東三十粁付近)において被雷、十五分後沈没。船員一名戦死。

治菊丸 三〇三九総トン

昭和一九年六月二十五日 スマトラ パンカランスス発、昭南向け航行中、二十六日一三四五頃 N〇三‐一五 E九九‐四六(スマトラ、リマブル岬北沖十粁付近)において、左舷機関室前部と船尾に、計二発被雷。激しい浸水により四分後沈没。

便乗者三十名戦死。

帝竜丸 六五五〇総トン

昭和一九年七月十五日 一四〇〇海南島三亜発、高雄向け航行中、十九日〇七四五頃N一九‐〇八 E一一六‐一三(南シナ海、香港南南東四〇〇粁付近)において、左舷汽罐室下部に被雷。〇七五三頃、浸水のため汽罐室が満水になる頃、船体が中央部より切断、瞬時に沈没した。当時荒天で、東北東の風が十メートル、波が高く視界不良であった。便乗者一〇八名、備砲隊員三名、船員三十六名戦死。

順豊 四二七七総トン

昭和一九年十二月二十三日一四五〇昭南発、クチン向け航行中、二十五日〇一三〇頃N〇〇‐五一 E一〇八‐一八(ボルネオ西岸シンカワン西方七十粁付近)において船尾に被雷。轟音とともに火煙が立ちのぼり、浸水を生じた。続く第二弾が機関室後部に命中し、黒煙と火炎が噴出。四番艙に延焼、積載中の弾薬に引火し、大爆発して沈没。

乗船部隊及び便乗者のうち五六一名、備砲隊員二名、船員十二名戦死。(本船の生存船員十二名が阿波丸に便乗中、昭和二十年四月一日同船沈没により犠牲になった。)

大陸 二三二五総トン

昭和二十年二月二十日 N三五‐二四 E一二五‐二三(朝鮮鞍馬島西方一〇五粁付近)おいて被雷、沈没。船員四十九名戦死。

暁隆丸 二一八〇総トン

昭和二十年五月十三日 神戸港外において触雷、沈没。船員一名戦死。

麗安丸 一九三六総トン

昭和二十年六月二十八日 関門六連灯台東南東一・五粁付近において触雷、沈没。

 

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