秘史その四(3)

開戦前夜の東京湾における触雷〜触雷船の船名判明

平成二十五年一月十九日 菊池 金雄

情報提供あり

情報提供者:五十嵐温彦氏(戦没船事績調査研究家)

出展:横須賀鎮守府戦時日誌

横須賀鎮守府参謀長発〜軍令部次長あて通信文

船名 共同丸(C油槽船  船主 鍵冨正作)

該船はS16年12月7日 2320 観音崎灯台162度 3,5浬に機械室右舷前部に触雷。右舷機が故障したが浸水は少量で人員に異常なし。

補足情報

この共同丸はS19年10月25日スルー海で私が乗り組んだ昭豊丸が米機に爆沈されたとき救出してくれた船で、意外な接点に驚愕するとともに、往時を彷彿させられる・・・とにかく共同丸に移乗・・・すぐ入浴、同時に衣類を水洗いして、私は無線局長室で休息させていただいた恩義が去来するばかりである。

関連WEB:ある小型戦標船タンカーの処女航海爆沈記

共同丸はその後マニラ経由でS20年1月6日リンガエン湾において、アメリカ第38任務部隊搭載機の爆撃を受けて沈没し船員10名が死亡.とのことで、切に戦没者各位のご冥福を念ずる。

情報提供者への謝辞

本事案については永年情報収集につとめ、船名不詳の船が機雷堰で推進器に絡網の件だけはキャッチしたが、今回、具体的に船名までも把握できたことは長生き冥利で、五十嵐様に厚く御礼申し上げます。

共同丸写真

株式会社石油共同販売所 油送船共同丸(一千二百噸)

共同丸

沈没寸前の昭豊丸と同型船の写真

沈没寸前の昭豊丸と同型船

©2013 Kaneo Kikuchi

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