その夕刻、北村羅津市長が憲兵隊の幹部に会って戦況を聞くと・・・・
「来襲の敵機は、ソ連機に相違ない。しかしソ連の来襲は、アメリカその他への義理あい上、参加したもので。真から日本とたたかう意思があるとは思えない・・・・・・という回答で。市民のことを心配してきくと・・・「避難命令をだす必要なし」と確信していた。
その夜、市内の各配給所に対して、主食米、みそ、しょうゆ各一カ月分を無条件で即時配給することが命ぜられた。
十日も朝からソ連機編隊の来襲がつづき、機銃掃射の音は、さながら豆をいるような有様だった。
ところが、いつしか軍は憲兵隊とともに市民に知られないように姿を消していた。
「予定の退却」・・・の機密保持上から知らせなかったと・・・その理由を、あとで明らかにしている。
しかし残留市民の生命を、なぜ考えなかったのだろうか???
©2004 Kaneo Kikuchi