○ 馬乳山の攻防戦
第一線部隊が後退する中で,果敢に抗戦したのは、慶源の馬乳山である。第七十九師団隷下の、第二九一連隊本部が、慶源の南方に駐屯していた。
開戦直後、琿春を攻略したソ連軍は、十三日朝南下。訓戎の鉄橋を突破して、慶源の南方にある馬乳山に、戦車をつらねて攻撃してきた。
第四中隊はこれを迎撃。また、月明山の第五中隊が救援に向かった。付近は広大な林野で、日本軍はソ連軍戦車に、肉迫攻撃を敢行したが、第五中隊の大部分が戦死した。
十五日には遂に、馬乳山はソ連軍に占領されたが、十六日まで戦闘が続いた。
ようやく十七日になって停戦が徹底。日本軍は南陽付近に集結して武装解除をうけたのである。
この抗戦は、二個中隊だけによる戦闘であるが、ソ連軍の追撃を一時的に阻止する役割を果たしたものと評価された。
©2004 Kaneo Kikuchi
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