この非常事態に鑑み、
しかし、そのころは慶興も羅津も本隊は、退却しはじめていたのであった。
この部隊の後を追う避難民にも、召集令状がばらまかれた。赤紙を手にした男たちは、妻子の受難を案じながら、断腸の思いで召集に応じたのであった。
清津の北道庁の職員は課長以下、高等官十数名が召集をうけたため、行政機能が停止寸前となり、道庁から参謀長に抗議し、辛うじて召集が取り消された一幕もあった。
今回召集者の六割は朝鮮人で、未教練の二十才以下の者もおり、銃の操作もできない始末だった。
これでは対戦できず、第三十四軍からの支援を講じなければならなかった。
©2004 Kaneo Kikuchi