○ 清津の守備状況
十二日正午召集(清津日赤病院職員)され第四中隊に入隊した。同隊は、海岸付近の警備を命ぜられ、十三日朝、水南橋と輪城橋の間の海岸に陣地構築中であったが、被服や武器が不足で、羅南から運搬中の十一時過ぎ、海上のソ連軍艦から猛烈な艦砲射撃があり、煙幕と同時に上陸用舟艇が突っ込んできた。
高抹山の日本軍の山砲三門は、先頭のソ連艇一隻を転覆させたが、敵は続々と上陸してきた。その後ニ〜三隻は転覆させたが、敵の上陸を阻止できなかった。このとき味方の山砲には、実弾が三十発ぐらいしか無かったという。
十五日朝、清津一帯は濃霧がたちこめていたが、ソ連機が頭上を乱舞し、ソ連軍艦は清津港に接岸して日本軍陣地に艦砲射撃し、味方の迫撃砲と応酬さかんであった。しかし、ついに十五日夜、味方部隊は後退。十六日夕方、羅南に転進した。
©2004 Kaneo Kikuchi
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