○ 命がけの善後策

延社のソ連軍は、ただちに道知事や道庁の最高幹部を拉致し、すべての警官を武装解除した。幸い赴任後、日の浅い木野鉱工部長が残ったので、同部長を中心に各地区から代表者を出し、今後の善後策を協議した。

一番は食糧の問題で「一万人以上の日本人が延社に居ては、ここの朝鮮人が食糧に困ることになる」ということで、そこの治安維持会は「すみやかに立ち退いてもらいたい」と要求するので、ここで今後の食糧補給は望めなくなった。

長時間、命がけの協議がなされ、死中に活をいかに求めるか、誰も断定できる確証を持たなかった。

日本の敗戦を信じ切れない人も多く、もう今頃は元の住家に帰れるのではと主張するグループと。 その望みを捨てたグループは懸命に南下することを主張し、人数的に大半を占めた。

この、はっきり二分した意見では、もはや同一行動はできなく、それぞれ信ずる道を選択するほかはなかった。かくしてお互い再会を祈り、延社を後にしたが、誰も行く先を確定することはできなかった。

日本の敗戦を知った朝鮮人たちは、もはや宿を貸す好意をもたなかった。それは共産党員からにらまれるのが恐ろしいからであった。一夜の宿はおろか、一升の米を売ることもためらった。

 

©2004 Kaneo Kikuchi

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