○ つのる郷愁

二月になって、はじめて外出労働が許され、皆、きそって雑役で低賃金を手にした。さらに三月から、ソ連軍より白米が配給された。

四月には一同で仮墓地をつくり、死者の火葬をソ連軍に具申したが聞き入れられず、やむなく、遺髪をこの墓地に葬った。

七月にはいってソ連軍から「外で自由に働いてよい」との許可がでた。ふりかえると、一年間、惨憺たる生き地獄に身をおき、北鮮の冬を迎えることは到底耐えられないことであった。しかも一行は、昨年夏の空襲下での脱出で、身につけているものは薄い夏衣だけ。祖国からはいまだ何らの救援もなく、郷愁がつのるばかりだった。

 

©2004 Kaneo Kikuchi

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