5 大阪商船 めるぼるん丸 (五四二三総トン)

同船は羅津港で、大豆、干鱈などを積み込んでいた八月九日午前八時五十分ソ連機の来撃があったが、まさかソ連機だとは思わず、乗組員は友軍機と思って眺めていた。ところが突如爆撃され、急遽船首楼の砲一門と船橋の機銃二基で応戦。二波の来襲で、直撃弾と多数の至近弾で三〜四番船倉に火災発生。さらに午後六時弾薬庫が爆発し、全焼になり、乗組員三名が戦死した。

辛うじて上陸した乗組員は、他船同様徒歩で南鮮方向に苦しい逃避を続け、やっと釜山に辿り着いたが、船舶司令部の曳船・天久号(一一四トン)を内地に回航方依頼された。めるぼるん丸の船員三十五名と、陸軍の便乗者と計六十名が乗船して、九月二日釜山を出港したのであるが、不運にも港外で触雷し、瞬時に沈没したため、めるぼるん丸の乗組員二十二名が犠牲となり、痛恨に堪えないものがある。

(この項「商船が語る太平洋戦争」から引用)

 

©2004 Kaneo Kikuchi

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