北鮮の羅津に宿泊中の八月九日〇〇三〇頃ボーンという地響き音で飛び起きる。窓越しから見ると埠頭地区が空爆のためか火炎に覆うわれていた。一行はすぐ街の裏山にある共同防空壕に避難するも市民で満員のため、上方の中伏に陣取り、眼下の空爆の状況を観察。敵機は約1万メートルの高空に照明弾一発放射。羅津市内は白日の下に暴かれ数機の敵機が侵入〜埠頭地区は轟炸音と火炎のるつぼと化したが、何故か味方防空部隊からの反撃が無く、敵機は一時間以上にわたり波状攻撃を行った。
やがて南方から低空爆音が、ぐんぐん街の上空に迫ってきた・・・突如シューンと複数の唸り音がして大型爆弾が至近距離に投下・・・その直前、危ないと叫びながら傍の排水溝に身を伏せ難を逃れた。
さらに南方から爆音が響き、今まで沈黙していたわが防空部隊の探照灯が一機を補足したが同機は爆音不調のまま沖合いの海上に墜落かと思われた。この間味方防空部隊からは一発の攻撃もなかった。
暫くして今度は北方から爆音不調の敵機が接近、探照灯に補足されたが、大きな機体は海上に向かってプツりと爆音が消えた。かくして大型機二機は確実に撃墜されたものと思われた。
その後暫時平静な夜に戻ったが、三度目は南方から低空で侵入・・・5〜6基の探照灯がこれを補足したら四発の大型機で、このとき初めて味方高射機関砲が火蓋を切り、弾幕が機体を包みエンジン出火するも悠然と街の上空を旋回しながら高度を下げ、無差別に爆弾投下・・・轟々たる爆炸音と天に沖する火柱が市街を覆う惨状となったが、敵機は致命的な被弾のため沖合いに避退・・・プツリと爆音が消えた。
敵は大型機三機を失い・・・以後、空襲は小休止となり・・・羅津市街を見下ろしたら、埠頭地区の火災はさらに延焼し、手のつけられない状況のようであった。
われわれは疲労と空腹に耐えながら夜明けまでこのまま待機し、やがて夜が明け、空襲の懸念も一応なくなり下山して健在な旅館を望見、ほっとする。当然各所に爆風の痕跡があり、三階の部屋は壁土が剥げ落ちて部屋中に散乱・・・空爆の爪あとを直視せざるを得なかった。
宿の朝食をとり、昨夜は睡眠不足だったので暫時仮眠中に空襲警報が鳴り出したのは午前9時で、再度裏山の防空壕へ退避。壕の中の避難民は動いた形跡はなく、致し方なく壕の入り口に体を半分隠す程度で腰を下ろさねばならなかった。
まもなく北方から爆音がして、小型機編隊12機が殺到・・・街上空を一旋回・・・3機編隊で停泊中の船舶を攻撃。また路上の市民にも仮借なき銃撃を加えた。
在泊船への攻撃は急降下やマストすれすれの水平攻撃で・・・胴体の翼の付け元から噴出す火器の炎が凄惨を極め・・・ダダダッという機銃掃射音は、街を囲む山々にこだまして埠頭周辺に響き渡った。
敵機の小型爆弾が船舶に命中・・・轟炸音とともに火炎に包まれたが、在港の商船隊は装備火器で果敢に応戦・・・壮絶な攻防戦が我々の眼前で展開された。しかし敵機は波状攻撃を繰り返し、正に無人の境を行く振る舞いであった。
折から、三機編隊の戦闘機が沖合いから我が方に向かって攻撃・・・、編隊長機は急上昇をはじめたとみるや、ヒラリと反転、後方の山腹に墜落した。これは我が商船隊の戦果で、私は思わず「一機撃墜」と壕のなかに向かって叫んだ!
敵は戦闘機攻撃の合間に・・・中型爆撃機が爆弾の雨を降らせ・・・船舶の貧弱な防禦火器へ執拗に攻撃を加え・・・被弾した船舶は大爆発・・・黒煙は天を覆い、凄惨を極め・・・在港の各船は港外へ避難しはじめたが却って敵機の好餌となった。
だが、敵の爆撃技量はそれほど優れていないため、低空〜至近距離にもかかわらず、約半数の爆弾は湾内に落下・・・大きな水柱が目撃された。
共同防空壕は、湾を見下ろす斜面の中腹にあり、私はその入り口に座って、埠頭・船舶の悲惨な情景を目撃。
今や我が方には、反撃する一機の飛行機も無く、断末魔のあがきとは、このような状態を言うであろうと思った。
敵機は約一時間攻撃後退散。街は元の静けさに戻ったものの、再度にわたる敵機の攻撃は羅津市民の心胆をを寒くし、街は機能を失ったように壕内の市民の会話からも読み取れ、当局よりの指示もままならない現状であった。
他方、港内随一の巨船「めるぼるん丸」は、どうなったか! と、市民の心配の声が耳に入ったので、港内を見ると、同船は巨体なるが故に敵機の集中攻撃をうけ、ひと際・・・大火炎を噴き上げていた。
私たちは空爆の合間に旅館に戻り、四散した部屋で中食。大半の市民が空襲時避難するのに、旅館の人たちは顧客のため給食してくれる職業精神に敬服させられた。
食事後、もう暫く空襲はないだろうーと、畳の上に横になった途端、十一時三〇分に三度目の空襲警報が出た。−こうも執拗な反復攻撃では、精神的に参ってしまうぞーと言えながら、また山手へ避難した。
しかし、今度はB29が高々度から侵入しただけで、一発の投弾もなく北方へ遁走した。おそらく偵察のためであったろう。
埠頭地区の火災は前にもまして悲惨で、天に沖する黒煙が空を覆い・・・港内の船舶は傷つきながらも港外へ移動を始め・・・すでに数隻は沈没(着底)、または傾斜し、大方の船は被弾しているようであった。
一方、真っ赤な消防自動車がサイレンを鳴らして埠頭方面へ疾走したが、一台だけでは手の施しようがないであろうと私たちは語り合った。
そのとき、めるぼるん丸らしい大型貨客船が・・・突如、船尾で大爆発・・・紅蓮の炎が忽ち船全体に広がったが、機関に異常が無いのか、僅かに岸壁を離れたようであったが、再び停止して動かなくなり・・・その姿が・・・この港と街の最後を暗示しているようであった。
私はは、B29一機だけの空襲なので共同防空壕を出て、見晴らしのよい高台に移ってみたが、身の安全のためいつも同一行動の東峰軍曹と、近くの民家(空家)軒下の自家用防空壕を見つけたので、浅い壕の端に腰を下ろし、朝顔の蔓の隙間から埠頭と在港船の被災を望見・・・火勢熾烈・・・黒煙が港頭覆い・・・昼なお暗しの感であった。
©2006 Kaneo Kikuchi