辰春丸に乗船

かくして、岸壁待機中の兵隊や引揚げ邦人すべてが乗船を終わった後、我々は最後の艀で乗船することになった。
 かの大型船は辰春丸と確認。我々はタラップを伝わり甲板へ上がり、船倉の中へ誘導された。先に乗船した陸海軍部隊は、仕切られた区画に物品を整理中で、我々七名の入る余地が無さそうなので、一旦、上甲板に出て、適所を物色・・・空いている将校用の小船倉を見つけ、追い出されるまで居座ることとした。ところが甲板に居残っていた引揚げグループも、我々の後を追って入倉・・・忽ち満員になってしまった。この人たちの大半は、老婦と子供であって、皆、一様に浮かぬ顔をしていた。
「いよいよ朝鮮大陸ともお別れだ。後は、この船が無事、内地へ到着してくれることを祈るのみ」と、ひとつの山場を越えた感懐が沸き、倉内の蒸し暑さを避け、甲板の日陰を求め、兵站弁当で夕食をとった。
 上甲板から眺める元山港は、物静かな街並みと、波静かな港であって、戦争の蔭は見えなかった。だが、船の近くには、掃海海面を示す浮標とロープが浮かび・・・気がかりであった。

撃墜マーク

ふと、船橋を仰ぐと・・・白ペンキで画かれた三機の飛行機が目にとまった。何れも×印がついており、その下にはアラビア数字で8、9と付記があった・・・それは、この辰春丸も、八月九日羅津港に停泊していて、ソ連機の攻撃を受けたとき、搭載の防空火器があげた戦果を示すものであろう。また、船橋付近には夥しい弾痕が生々しく残り、善戦敢闘した辰春丸の、名誉の紋章のように感じた。
 本船は十八時錨を揚げ、ゆっくり出港した。傍の船員の言によると、港内には夥しい機雷が投下されており、掃海海面でも危険とのことであった。間もなく船内放送があり「本船は港外に仮泊し、日没を待って出港」と周知された。また暫くして「出港は二十二時に延期」と放送された。
 やがて日暮れとなり、私は甲板上の自室? に戻ったが・・・蒸し暑くて、忽ち全身が汗まみれなり、仕方なく横になった。この船倉内は悲惨な敗戦の実情を知る避難者ばかりで、口を利く者もないゴロ寝姿で埋められていた。
 私は夢うつつに船のエンジンの振動と、波頭をきる船足を感じた・・・それは二十二時の出港であったろう・・・この寝倉の蒸し暑さと・・・歯ぎしり・寝言の伴奏で・・・寝苦しい一夜ではあった。

八月十六日

案じた敵潜水艦の襲撃もなく・・・夜明けとともに起きだし、甲板に出た・・・朝は冷え冷えとして気分爽快・・・右手には切り立った陸岸が望まれ・・・左舷には本船と百メートル位の間隔で、前後を並航二隻の真っ黒い小艦艇が望見された。
 右手の陸岸は朝鮮大陸で、左舷側は本船を護衛中の海防艦とのことであった。
私は元山から裏日本の敦賀辺に直行かと思っていたが、敵の潜水艦回避の為に朝鮮の沿岸を南下しているため、海防艦は左舷側を警戒しているものと分かった。
 昨夜は本船事務長との連絡悪く、夕食が欠配だったが、今朝は真っ白な米飯の握り飯が配食されたが、副食は乾しメンタイ一匹のみ。その頃、船内新聞が回覧になり・・・
昨日、喚発された「無条件降伏」に関する証書の写しを目にした・・・これでようやく自分を納得させ・・・同僚も、無言で顔を見合わせ・・・口をはさむ者はなかった。
 既に本船は日本海を横断するコースをとり、海防艦は本船の左右を護衛し、船橋上の対空・対潜監視哨は依然、厳重な警戒のままで、艫の高角砲、舳の高射機関砲も空を睨んでいた。

警戒警報

17時頃、突如!警戒警報が発せられた・・・右前方に怪しいものを発見・・・海防艦は白波を蹴立てて・・・前方、五百メートルをジグザグしなが警戒・・・敵潜に対処・・・
近くの海軍兵は“潜水艦でなく、飛行機らしい”と、言った。
 間もなく「便乗者は全員、船倉に入れ」の指令・・・ややあって「飛行機は友軍機だぞー」と甲板上から聞こえた・・・急ぎ甲板に出たら、機体を迷彩の双発機がぐんぐん低空・・・翼を振ってアット言う間に船上を飛び去り・・・鮮やかな日の丸のマークが目に沁みた・・・この友軍機は三十分以上も、本船上空を旋回しながら警戒・・・翼を振って陸地方向へ飛び去り・・・船上は静寂に戻った。
 私は友軍機の訪問にすっかり気をよくし、夕食は殊のほか旨く、同僚との会話もはずみ・・・鉄帽を枕に横になったが・・・船倉内の熱気で眠られぬ船上の第二夜を迎えた。

八月十七日 母国遠望、感無量!

辰春丸での最後の朝は無事に明けた。私は羅津脱出以来治療できなかった左眼が、悪化。目ヤ二で開かないため、水を含んだ手拭で目ヤ二を拭き取り、やっとまぶたが開いた。そして再び眼帯してから上甲板に出た。
 右舷に島根県岸を遠望・・・左舷の日本海側を付随の海防艦が前後を守り、心強く舞鶴に向かっていた。
 私には、実に五年ぶりに見る祖国は、感一入なるものがあった。舞鶴入港予定は十三時と予告され・・・“あと一時間一寸だな”と、私は二昼夜にわたった船上生活から開放される喜びに浸っていた。
 本船は徐々に陸岸に接近しながらスピードを下げ・・・何時の間にか舞鶴湾に進入しようとしていた。
 これまで並航していた海防艦のマストに信号旗が揚がり、間もなく二隻の海防艦は反転。元山の基地に帰投するものと推察され、本船護衛の労を心から謝したのであった。
 本船は何故か湾内に停船。時刻は入港予定の十三時で・・・約三十分後スロースピードで走りだし、峡水道に入る。この水道の浅瀬に、四〜五千トン級の貨物船が赤錆を帯び座礁していたが、触雷でもしたものであったろうか?

 

©2006 Kaneo Kikuchi

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