戦前と戦時中の乗船歴

 *印は交代下船後戦没。◎印は乗船中戦没。

恵昭丸

(貨物船 五八〇〇総トン 乗組員五十二名)昭和十五年一月二十二日〜昭和十七年三月二十五日 次席通信士。

本船は外国航路不定期貨物船で、戦前は北米航路・東南アジア航路に就航。サンフランシスコから日本海軍用のドラム缶入り航空ガソリンを大分県佐伯に輸送したことがあり、緒戦時このガソリンが活用されたかと思う。この航海途次太平洋のど真ん中で私に召集令状電報が届いたが、指定日時に帰港できないため免除されたため軍属船員として勤務した。

昭和十六年八月一日 海軍徴用船となり、横須賀軍港から南洋委任統治(現在のミクロネシア)の島々の海軍航空基地にドラム缶入り航空ガソリンを輸送したが、各島々は多数の海軍機が発着し、すでに開戦したように感じられた。現地の海軍兵は一様に現地人なみに日焼けしていたのが印象的で、奇しくも横須賀帰港は開戦日の朝だった。

同船は私が下船して一年半後の昭和十八年十月十二日 ラバウル港内でドラム缶入り航空ガソリンを陸揚げ前に米軍機に爆沈されたが、幸い全員救出されている。折角危険海域を突破、貴重な兵站物資を運んでも、即〜荷揚げしないための痛恨事例は兵站軽視のそしりを免れない。

©2007 Kaneo Kikuchi

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