(貨物船 七〇〇〇総トン 乗組員四十八名)昭和十七年六月九日〜昭和十八年六月二十七日 次席通信士
本船は舞鶴鎮守府徴用船で、ラバウル攻略作戦から帰還直後に乗船。主にジャワ方面占領地航路に就航後、昭和十七年十二月二十一日から佐世保海軍工廠に於いて十九日間でタンカーに改造。シンガポール経由、ボルネオのタラカンで原油搭載し徳山に輸送後、私は交代下船した。
それから三ヵ月半後の昭和十八年十月十四日沖縄北方で雷撃をうけ沈没。社史では戦死者ゼロなるも、他の資料には戦死三名と記録があり、目下関係方面に照会中なるも確認に至らない。
(付記=そもそも貨物船を短期間でタンカーに改造した無謀によって、二十 隻の全改造船が戦没したようである)
©2007 Kaneo Kikuchi