(貨物船 一九九九総トン)昭和十八年七月十三日〜昭和十九年三月十三日 通信長
航路は九州〜北支間の石炭輸送で、当時この海域は敵潜の来襲はなかった。しかし私が交代下船して一年三ヵ月後の昭和二十年六月十日 伏木から小樽向け中、北海道積丹岬北東十七キロ付近で雷撃をうけ沈没。船員三十八名戦死している。
©2007 Kaneo Kikuchi
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