救助活動

西船長はしばらく北方の空に機影の有無を監視させた後、海防艦遭難者の救出を決断。沈没地点に戻り夕闇迫る頃まで、乗組員総員が大急ぎで、泳いでいる多数の海兵たち全員(九十三名)を救助した。事後の調査で、戦死者は百十七名とのことで、向日丸むかひまる保護に殉じたこれら多くの戦士に対し、衷心よりご冥福を祈念してやまなかった。

舞水端里救出した該軍艦の艦長(森武海軍少佐)から「勇敢で機敏な救助活動に対する謝意」と「本官の役立つことは何でも応ずる」旨の申し出があった。そこで「本船の警戒隊が羅津港で、敵機を三機撃墜」したので、その証明方を求めたところ、直ちに応諾した。

海防艦八十二号城津じょうしん基地所属であったので、針路を城津に向け、全速で執拗な追撃から避退したのであった。 やっと危険海域から離脱し、本船乗組員にも安堵感あんどかんが漂い「もし本船が無事帰国した場合は、船員にも何らかの恩賞があるのではないか」と久々で明るい話題がはずんでいた。

翌十一日未明城津に寄港、救出した全員を上陸させ、本船は直ちに元山げんざんへ向かった。

 

©2002 Kaneo Kikuchi

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