(戦争末期短期間の出会い。姓をナワと呼んでいた記憶だけで漢字は不詳だった)
まず、彼の母校と思われる目黒会(現電気通信大学同窓会)に照会。推定卒業年次にただ一人「名和」姓が見つかったが、現住所は不明となっていた。
目黒会から現住所判明の同期若干名の紹介に基づき、ある同期の方に事情を付してお尋ねしてみたところ、ご丁寧に卒業アルバムから、名和氏の顔コピーと出身中学等の情報提供があった。
コピーの目もとが、尋ね人に似ているように感じたので、早速九州の出身中学同窓会に照会したところ、古い卒業生なので時間をかけて調べてくださり、やっと東京にお住まいと判明。ご本人から先に電話をいただいたが、残念ながら別人であった。
そもそも半世紀余り経って、昔日を辿ることの難しさを噛みしめるとともに、調査にご協力いただいた方々に厚くお礼を申し上げます。
平成十五年五月十四日、ご本人と五十八年ぶりに再会を果たすことができた。詳細を悲願の訪ね人対面記に掲げる。海上保安新聞の記事はこちら。
©2002 Kaneo Kikuchi