8 大連汽船 羅津丸 (5462総トン)

北鮮城津基地の第82号海防艦は、ソ連参戦直後の昭和20年8月10日正午、「速やかに羅津に進出し、行動可能な船舶を護衛し元山に待避せよ」の指令を第一海防隊司令より受けたとき、同艦は「被雷沈没の陸軍輸送船遭難者の捜索救助任務で出動中」のところ、手がかりなく清津付近に仮泊していたようである。

同艦の記録には沈没船の船名がないので、当時の記録を調べたところ「羅津丸」と思われるので、以下に該船の遭難状況を抽出する。

本船は昭和20年8月1日富山県伏木港を平雄丸、蓬莱丸他3隻と船団を組み第87150号海防艦に護衛されて出港後、七尾港に寄港して噴進砲第1連隊約1000名と便乗者約200名を乗せて北鮮の羅津へ航行中の8月8日1405頃、羅津東南約72浬(41゚15'N/131゚19'E)でアメリカ潜水艦(SS264)パーゴの発射した魚雷を機関部と第4船倉に受け、28秒で沈没。乗船部隊と便乗者約1100名、船砲隊51名、船員35名が死亡した。

参考資料・Web
近代世界艦船事典
知られざる戦没船の記録(下)
http://www.takedive.net/sbs/sbs_sub/Senbotsu1FILE/ratsu.html

©2009 Kaneo Kikuchi

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