昭和二〇年八月終戦。同年九月三日、全日本船舶は連合軍総司令部(GHQ)の管理下におかれる。
開戦から終戦までの同社の保有船腹は三三隻(二一万八千重量トン)であったが、昭和一七年三隻・同一八年五隻・同一九年一〇隻・同二〇年二隻、合計二〇隻が戦火で沈没。 乗組員三七五名の尊い生命が奪われ、痛恨の極みである。
大同海運社史「大同」の記録
戦時喪失船舶および遭難船員数(表1)
このため戦後実際に稼働できる保有船は次の五隻(二万六千総トン、表2)に過ぎなかった。
(表2)戦後に稼働できた保有船
型式 | 船 名 | トン数 |
在来船 | 高栄丸 | 一〇,二五二重量トン |
戦標船A |
|
一一,二一五重量トン |
戦標船E | 大日丸 | 一,五六二重量トン |
戦標船E | 大宙丸 | 一,五六二重量トン |
戦標船E | 大天丸 | 一,四九〇重量トン |
合計二万六千重量トン |
©2008 Kaneo Kikuchi