○太平洋戦争勃発

昭和一六年一二月太平洋戦争勃発。翌一七年四月船舶運営会が発足。一〇〇総トン以上の汽船・一五〇総トン以上の機帆船と船員を徴用、一元的に運航を統括。海運会社は事務処理手数料を受け取る運航実務者に再編された。

同年一一月戦時標準船型タンカー日輪丸(七,八四〇重量トン)が就航した。 時局がら海運業も統制下とはいえ、なおオペレーターとしての収益を得ることができた。

その後個人純船主株を買収して所有船の増強に努め、昭和一八年頃には「船を持たざる純オペレーター」から、一五隻一〇万重量トンを保有する船会社に変貌した。

ここに田中社長構想の「理論的典型的海運業経営形態」の一角が達成された。

○戦時海運施策即応

昭和一八年五月、当局の海運業集約強化施策に即応、大同と辰馬汽船とが提携し、辰馬汽船社長山縣氏に大同の社長を委譲。田中氏は相談役に退いた。

○戦局劣勢下、船舶被害急増

開戦後半には制空権、制海権の喪失と共に消耗品なみに船舶の被害が急増した。当局はこれが補填のため昭和一七年四月から、船舶建造工事の簡易化、材料の規格統一、補機部品の標準化を図るため戦時標準船(戦標船)を制定。一九年一一月まで第四次に分け各種 貨物船、油槽船が急造された。当社受注の戦標船は「表1」のとおりで合計一七隻である。

(表1)戦時中建造の戦時標準船

  総トン数 船      名


6千トン級 1A 豊日丸 天日丸
2A 白日丸 向日丸むかひまる 速日丸
1D 2千トン級 建日丸
3E 8百トン級 大天丸 大地丸 大玄丸 大黄丸
大宇丸 大宙丸 大日丸


2TL 1万トン級 宗像丸
1TM 5千トン級 日輪丸
2TM 2千トン級 昭開丸
3TE 8百トン級 昭豊丸
      合計17隻  

○危機的戦局対処

 昭和二〇年四月、危機的戦局に対処するため船舶運営会内田茂総裁は船舶運営会の組織 を東西に分轄。西部運営会を統括する「特務理事」として田中氏を任命。同時に田中氏は 再度大同海運の社長に復帰した。

©2003 Kaneo Kikuchi

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